ギャンブル依存症だった私①

ギャンブル
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悪夢の始まり

私は高校3年生の時にパチンコを覚えました。悪友に誘われたのです。
当時は連チャン機が花盛りの頃。まだCR機が出る前の時代です。

アレジン 綱取物語 たぬ吉くん

アレジン、綱取物語、たぬ吉君2をよく打っていました。
大学に進学してバイトに精を出すようになったものの、バイト代はすぐにパチンコ代になって消えていく始末。

負けても大勝ちした時の興奮と記憶が、すぐにまた自分をパチンコ屋に向かわせてしまうのです。

今ほどではないにしろ、連チャン機ですから10万円勝つこともあればアツくなって10万円散財することも。夕方からの新装開店なんてお祭り騒ぎでした。

今と違ってイベントなんて多くありませんでしたが、信憑性が高かったように記憶しています。

結局私は、パチンコにハマりすぎ大学4年生で就職先が内定していたにも関わらず、1年留年してしまいました。
大学ではなくパチンコ屋に通いつめていたからです。

私立大学でしたから余分な学費を両親に強いることになり心苦しかったのですが、やはりパチンコはヤメられませんでした。

スロットに目覚める

なぜパチンコ屋通いをヤメることができなかったのか?
答えは1つ。

スロットに手を出したからです。
それまで現金機が主流だったパチンコはパッキーカードを使って遊戯するCR機が台頭し始め、勝ちにくくなってきました。そして逃げるように打ったことがなかったスロットに転向しました。

ニューパルサー

 

当時のスロットは4号機の時代。
最初はニューパルサーでスロット自体の操作やリーチ目を覚えて実践していました。パチンコと違って「自分で当てている」という勘違いが根底にあり、開店から閉店までずっと打っていました。

しばらくするとスロットはAT機や大量獲得機が登場。一気にギャンブル色が濃くなっていきました。

北斗の拳 吉宗 ガメラ

初代:北斗の拳、吉宗、オオガメラをよく打っていました。ギャンブル性が濃くなったことで当然収支は不安定に。。。
最終的にこういった機種は「射幸心を煽っている」として度重なる規制の後、撤去を余儀なくされました。

この頃の私

大学を1年留年したことと就職氷河期が上乗せされて、結局大学生のうちに再度内定を得ることができませんでした。

アルバイトはしていましたから大卒のフリーターになっていました。
就職しなければいけない気持ちはありましたが、ズルズルとスロットを打ち続け、結果的に5年ほどそんな生活を続けていました。

マンガ『カイジ』以下の生活だったかも知れません。妹は高校を卒業してから就職したというのに、兄は留年+フリーター+スロット狂。。。
フリーターとしてアルバイトしつつも、パチンコ屋通いはヤメられずついに軍資金が底をつきました。

これこそがその後の私の人生を狂わす最初の場面となりました。

※「ギャンブル依存症だった私②」に続きます。

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